ベティー・バクスターの物語

 

覚えている限り、私は他の普通の子どもたちとは違っていました。私の体は曲がっていて、変な形にゆがんでいて、私は障害者でした。絶望という恐ろしい感覚を忘れることはないでしょう。かかりつけの医師は私の顔を見て、「ベティ、どうしようもないよ」と告げられた時の気持ち、次々と病院に連れて行かれて「医学ではどうしようもありません」と言われた時の気持ち。

  

 私は生まれつき背骨が曲がっていました。脊柱がずれていて骨はゆがんでおり、複雑な形になっていました。ご存じの通り神経は脊柱に集中しています。レントゲン検査でも、骨が曲がっていることがわかりました。だから私の神経はおかしくなっているのです。

  

 ミネアポリスの大学病院にいるとき、私の体が急にガクガクし始めました。最初は震えて、次に頭から足先まで激しく揺れ始めたのです。私はベッドから落ちました。医師が飛んできて、私をベッドに戻してくれました。そして言いました。「こうなると思っていたんだ。舞踏病だ。もう家に帰ってもらうしかない」

  

 私はベッドにくくりつけられました。揺れるのは止まりませんでしたが、ベッドから落ちるのを防ぐことはできました。私は看護士に体を洗ってもらう以外は一日中くくりつけられていました。ひもをほどいてもらうと、体には水ぶくれができていました。

  

 私は苦しみを知っています。私は苦しみの中で生きています。医師は痛みを感じないようにと、麻薬をくれました。私は生まれたとき、心臓に異常がありましたが、麻薬のせいで心臓が悪化しており結局、毎週心臓発作を起こしました。

 

 麻薬になれると、次第に効き目が弱くなりました。薬の効果が現れるまで、唇を噛んでこらえ、痛みが引かないので、もっと注射してと叫びました。23本の注射でようやくこの拷問のような痛みから救われました。ある日医師が、麻薬を止めました。そして母に言いました。「バクスターさん、これはよくありません。耐性ができているのです」

  

 彼は私のベッドから全てを取り除き、言いました。「ベティ、モルフィネの注射を続けるわけにはいかない。私にはそれしかわからない」 私はその時わずか9歳でした。もがき苦しむ夜がどれほど長かったか。ベッドで、少しでも楽になろうと体を動かし、意識を失います。そして数時間は意識がないまま横たわっているのです。           

  

 私はクリスチャン・ホームで育ちました。 両親は私のような福音的な教会ではなく、ナザレン派の教会でしたが、イエス様を愛していました。母は私が物心ついた頃からイエス様の話をしてくれました。母は聖書を信仰し、イエス様は今でも救世主であり、ガリラヤの湖岸を歩いておられ、神を信じる人々を癒されるのだと言いました。

  

 私の話をする前に、申し上げたいのは、私の人生で起こった奇跡は、イエス様が私の曲がった障害のある体を癒されたことではなく、罪から私の魂を救ってくださったことです。神様を信じていれば体が曲がっていても天国に行くことはできます。しかしイエス様の血によって救われなければ、天国に行くことはできません。

  

 私の改心は 9歳の時に起こりました。ナザレン教会の牧師が「世界で最も偉大な物語」を語って下さった時のことです。世界で最も古い物語ですが、いつまでたっても新しい物語、イエス様の物語です。

 

 デービス牧師は、イエス様が飼い葉桶から生まれたところから、すばらしいお話しをしてくれました。十字架と復活の物語です。イエス様が二本の指で目の見えない人に触れると、見えるようになった。耳の聞こえない人に触れると聞こえるようになった。ハンセン病を癒し、一人の少年の昼食で、大勢の人の空腹を満たし、福音を伝えながらガリラヤの灼熱の砂の上を歩き、水の上を歩かれた物語を語ってくれました。

 

 人々は彼の奇跡の手に釘を打ち、そして脇腹に槍を刺しました。引き抜くと彼の血が噴き出しました。その血は彼の足から地面に流れ出ていきました。彼は、その血が人々を罪から救い、苦しみを癒す力があると言いました。

 

 それは私が聞いた中で最高の物語でした。デービス牧師は柔らかい、すばらしいテノールで歌い始めました。

 ♪♪♪                                                                       

いと静けきみ声もて  イエスは呼びたもう 門に立ちて 今も待つ 父を仰げと

帰れや 疲れしものよ 心つくし 招く主に 帰れ今こそ   

                                                  歌詞 勝利の歌Ⅱ-62 (聖歌409

                                                                                          

 涙が私の頬を伝いました。私はひざまずいて、私を救ってくださいとイエス様にお願いしていました。ひざまずくと、私の心が見えました。それはまっ黒でした。罪深いまっ黒な心では天国には行けません。そして遠くに、古ぼけた十字架が見えました。十字架の上に輝く文字が見えました。それは 「あなた方のために彼は死んだ」という文字でした。私は言いました。「イエス様、今わかりました。どうか私を罪からお救いください」

  

 私の前にハートの形をしたドアが見えました。イエス様はそこまで歩いて行き、耳を澄ましました。外にはドアノブや掛け金はありませんでした。ドアを開けなければなりません。イエス様はノックして聞き耳を立てられました。2回目、3回目とノックなさると、ドアが開きイエス様は入って行かれました。そして私は、自分が救われたことを知りました。最も大きな罪が、私から取り除かれたのです。イエス様は今も私の心の中にいらっしゃいます。いらっしゃらなくなったときにはわかるでしょうから。 

 

 私はデービス牧師に、伝道者のところに行きたいと言いました。彼は優しく私の頭に手を置いて、祝福してくれました。後になって、彼は私の両親に言いました。

「あの少女を神のみ言葉から引き離してはいけません。あの年の子どもで、あのように主イエス様を体験した子は他にいません」

  

 しかし、苦しみの手が私の命を縮め始めました。私の唯一の救いは、母の祈りでした。父は、母のようには、私を癒す信仰はありませんでした。しかし父は優しい人であり、母が私のために祈るのを妨げることはありませんでした。

  

 母はイエス様をとても愛していました。私は、母ほどイエス様を理解していた人を知りません。母はいつかイエス様が私を癒してくださるよう、私の信仰を導く方法を知っているようでした。

 

 私の最悪の瞬間は、ストレッチャーに乗せられて、病院の廊下を行くときでした。医師は言いました。「ベティ、背骨のレントゲン写真を撮ったよ。脊柱がずれていて、骨が曲がっている。それから新しい腎臓が必要だ。この腎臓では痛みが続くだろう」

 

 父は言いました。「だめです。私はこの子を治すためには何でもするが、メスを入れるのは許さない」 私はイエス様が手術をしてくださり、傷跡は残っていませんが、他の手術をしたことはありません。イエス様が何かをしてくださるときは完璧であり、傷跡は残らないのです。

 

 医師は言いました。「バクスターさん、ベティの体の骨を治すことはできません。彼女を家に連れて帰って、幸せにしてあげてください」

 

 その時私は 11歳でした。そして医師が私を家に返すのは、死ぬのを待つためだということは、わかりませんでした。

私は医師に言いました。「先生、神様がいつかなおしてくださる。私は元気になるの」

 

 母が神のみ言葉を読んでくれ、そしてイエス様について語ってくれたので、私は信じていました。当時、母が好きだった聖書のみ言葉は次のようなものです。

 

マルコ9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」        

 

 そして私は家に連れて帰られました。医師は私が家で死ぬだろうと言っていました。私の病気は悪くなり、以前の苦しみは、家に帰ってからの苦しみに比べれば何でもないものでした。

 

 私は何週間も目が見えず、耳が聞こえず、しゃべることもできませんでした。私の舌が膨れ上がって麻痺しました。私は、何か強い力にとらわれたようでした。

 

 何かが私を破壊しようとしていました。しかし母は毎日私のために祈ってくれました。いつか神が私の体を癒してくださる、と言ってくれたのです。

 

 私は何日も、父と母と医師以外の人に会うことはありませんでした。この頃、私は孤独で世界から孤立していました。でも一つ発見したことがあります。医師は私を愛する人たちから、友人から切り離してしまうことができます。しかしイエス様から切り離すことはできないのです。

なぜなら

ヘブル13:5  「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

とおしゃったからです。

  

 ですからこの孤独だった時期に、私は主イエス様のことをよく知るようになっていきました。大勢の人達が言います。「ベティー、どうして神様は、あなたが幼くてそれほどの信仰を持っていた頃にあなたを癒してくださらなかったのだろうか。」

 

 私にはわかりません。神様がお決めになったことです。そしてそれが最善の方法なのです。でも一つ私にわかることがあります。この孤独で辛い時期に、私は本当の意味でイエス様を知ったのです。イエス様は私の友です。イエス様はどこにでもおられ、呼び求めるわたしたちに出会って下さるのです。

 

 母は、朝のうちに私の体をきれいにしてから、私から離れます。時にはベッド脇で静かな足音が聞こえます。母が私の知らないうちにもどってきたと思うのです。

 すると聞き覚えのある優しい声が聞こえます。その声は父の声ではありません。

医師の声でもありません。イエス様が私に話しかけていらっしゃるのです。

 

 最初の時、イエス様は私をファーストネームで3回呼ばれました。優しい声でした。

イエス様は私の名前を知っていて私がどこにいるかを知っておられるのです。

 

「ベティ、ベティ、ベティ」

 

 私が答えるまで3回お呼びになりました。私は言いました。「はい主イエス様。私と一緒にいてください。私はとても寂しいのです」

 

 神様は私のそばにいて、私とお話ししてくださるでしょうか? もちろんしてくださいます。神様はいろいろなことをおっしゃいました。でも一つ私が絶対に忘れないことがあります。神がこのことをおっしゃったのは、私が一番喜ぶということをご存知だからです。彼はいつもおっしゃいました。「ベティー、愛してるよ」

 イエス様は私の哀れな姿を上からご覧になっています。私の体はすごく曲がっているので、父が立たせてくれても、4歳の弟ぐらいの高さにしかなりませんでした。

 背骨には大きなコブがありました。最初の一つは首の後ろ側に、そしてその後、背骨の下のほうにできました。腕は、肩から手首まで麻痺しています。指しか動かすことができません。頭はだらんと垂れています。頭を上げることができなかったので、水を飲む時には、ストローを使って飲まなければなりませんでした。

 それでも神は私を愛しているとおっしゃいました。私は言いました。「イエス様、どうか私が耐えられるよう、助けてください。あなたが私を愛してくださっていると知っている限り、何でもできます」。

 何度も神は私にささやかれました。

  

ヘブル13:5  「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

 

 皆さん、聞いてください。障害があって、世界から忘れ去られている時も、私が強くなって、神のために働くことできる今も、全く同じように神様は私を愛してくださっています。

 

 イエス様が私のベッドの横にいらっしゃる時に私は聞きました。

「イエス様、お医者さんが私にモルヒネをくれないのです。この背中の痛みがどれほど辛いかご存知ですか」

 

 するとイエス様がおっしゃいました。

「知っているよ。覚えているか、私は十字架の上で、世界の全ての痛みと病をこの身に背負ったことを」

 

 何年かたつと、私は医師が直してくれるという希望を完全に失いました。

 結局ある日、父がやってきて、私の体を抱えて、ベッドの端に座りました。父は涙をこぼしながら私を見ました。

「ベティー、お前はお金というものが何か知らないだろうが、私はもう全てを使い果たしてしまった。お前を治すために持っているもの全て、いやそれ以上使った。ベティー、お父さんはできる限りのことをやった。これ以上はもうどうしようもない」

 

 父はハンカチを取り出し、涙を拭きました。そして私を見て言いました。

「イエス様がお前を長く苦しめられることはないと思うよ。イエス様は、天国というところにお前を連れて行ってくださるだろう。中に入ったら次々と人が入ってくるよ。いつかお父さんがその門をくぐるのも見えるだろう。もう長くないだろう。医師がそう言っていた」

 

 この時点で、私はもう人の力ではどうすることもできないと諦めていました。それでもまだ私は神を信じていました。

 

 ある日、太陽が沈む少し前、私は耐え難い痛みで意識を失いました。3時間後、母は私の呼吸がゆっくりしていて、ほとんど脈がないことに気がつきました。母は医師を呼びました。医師は言いました。「これで終りだ。もう意識が戻ることはないだろう」

 

 私は4日間意識を失っていました。家族が呼ばれ、そして死の時を覚悟していました。5日目の朝私は目を覚ましました。母が身を屈めて、私の熱い額に冷たい手を当てました。私は体の中が焼けるようでした。ナイフのような痛みが私の背骨に走っていました。母は言いました。「ベティー、お母さんだよ、わかるかい」

私はしゃべることはできませんでしたが、母に微笑みかけました。彼女は天に向かって手を上げ、神を誉め讃えました。神が祈りに答えて、私を彼女のもとに返してくれたと思ったからです。

 

 私はそこで横たわったまま、母を見て考えました。

「私はどうするべきだろうか。父と母のもとにとどまるべきだろうか。それとも母が話してくれた、痛みのない場所に行くべきだろうか」

 

 母はいつも言っていました。

「ベティー、天国には障害はないんだよ。天国ではだれでも歩けるんだよ。天国では病も死もなく、神様はその大きなハンカチで人々の涙を拭いてくださるのよ」

 

  その日、私は大勢の人が祈ったのと同じ祈りを捧げました。 

「イエス様、あなたが私を救ってくださったことを知っています。そして、私は天国に行く用意ができています。何年も、私は病が治るようにと祈ってきました。しかしそれは答えられませんでした。主イエス様、私はとうとうこの道の終わりにやってきました。何をなさろうとあなたにお任せします。ここにいらっしゃって、天国という場所に私を連れて行ってください」

  祈っていると私は暗闇に包まれ、そして体に冷たいものが這うのを感じました。数秒して私は体中が寒くなり、闇に包まれました。

  子どもだった私はいつも暗闇を怖がっていました。それで私は叫び始めました。「今どこにいるの、ここはどこ、お父さんはどこ、お父さん」

 

 でも皆さん、あなたのお父さんがあなたと一緒に行けない時があるのです。お母さんがあなたと一緒に行けない時があるのです。彼らはあなたの最後の息を見つめることはできます。しかし死の時には、あなたと一緒に歩んで下さるのはイエス様なのです。

 

  暗闇が私の周りを取り囲み、その中に長くて暗くて狭い谷間が見えました。私は谷の中に入っていきました。そして叫びました。「私は今どこにいるの、ここはどこ?」

そして遠くからゆっくりとした母の声が聞こえてきました。

 

詩編23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。

 

  私は言いました。

「これが死の谷に違いない。私は死を祈った。そしてイエス様のところに行くためには歩かなければいけないのだろう」そこで私はこの暗い場所を歩き始めました。

 

  皆さん、生きているのと同じくらい間違いのないことですが、すべての生き物は死ぬのです。そして死が訪れるときには、この谷を歩かなければなりません。イエス様がいらっしゃらなければ、あなたは一人で暗闇の中を歩きます。

 

  太陽がその場所を照らしたとき、私はまだほとんど中に入っていませんでした。私は、何か強いものが私の手を握るのを感じました。それが何か見る必要はありませんでした。それは、私の魂を救ってくださった、神様の手でした。釘で傷つけられた手でした。神は私の手を取ってしっかりと握りました。私は谷を進んで行きました。もう恐くありませんでした。私は故郷に帰れると思い幸せでした。母は言っていました。天国では私には新しい体が与えられている。ゆがんだ、障害のある体ではなく、まっすぐの体だと。

 

 遠くから音楽が聞こえました。これまで聞いたことがないような美しい音楽でした。私たちは歩みを速めました。広い川にやってきました。向こう側には美しい土地があります。反対側を見ると緑の草、あらゆる色の枯れることのない花が咲いていました。神の国を流れる命の川が見えました。その河岸に立っているのは小羊の血で贖われた人々であり、賛美を歌っていました。背骨にコブのある人や、痛みで顔がゆがんでいる人はいませんでした。

「もうすぐ私は天の人々の仲間入りができる。向こう岸に着いた瞬間、私の体はまっすぐ元気で強くなる」

 

 私は向こう岸に渡りたかったのです。そしてイエス様が一緒にいらっしゃるので、一人ぼっちではないということもわかっていました。しかしその瞬間私はイエス様の声を聞きました。ゆっくりと優しくイエス様はおっしゃいました。

 「ベティー、まだ渡る時ではない。戻りなさい。あなたが 9歳の時に私が命じたことを成し遂げなさい。あなたは秋に癒される。戻りなさい」        

 

 私はイエス様の言葉を聞きました。そして実はがっかりしたのです。

涙を流しながら言いました。「もうすぐ幸福と健康が手に入るというのに、なぜイエス様は私を入れてくださらないのでしょうか。私のこれまでの人生で一日たりとも健康な日はなかった。そしてようやく天国に近づけたのに、なぜ中に入れないのでしょうか」

 

 しかしさらに私は考えました。私は何ということを言っているのでしょうか。イエス様のほうに向かって言いました。

 

「神様、申し訳ありません。あなたの道が正しいのです。私は帰ります」

 

 私はゆっくりと意識を取り戻しました。医師は私が夏を乗り越えられないだろうと言いました。私は何週間もしゃべることができませんでした。コブはどんどん大きくなっていきました。

 母は言いました。「お父さん、コブがとっても堅くて大きくなっている。ベティーは苦しんでいるはずよ。」

 

 私は母に苦しみを伝えることができませんでした。言葉が出てこなかったからです。あまりにも痛かったので唇を噛みしめて、叫ばないようにしました。母が少しでも寝られるようにするためです。

 

 初夏がやってきました。ミネソタ州マーケティンの人々は皆、バクスターの娘がもうすぐ死ぬということを知っていました。善人も悪人も、お見舞いにやってきましたが、私はほとんど意識がありませんでした。意識がある時には、彼らは私の肩を叩いて、親切な言葉をかけて、帰っていきました。

 

 しかし意識がある時には、私は希望を失っていませんでした。大きな声でしゃべることはできませんでしたが、心の中でつぶやいていました。

「神様、秋が来れば良くなるんですよね」。私は絶対に疑いませんでした。イエス様は約束を破られることはないからです。イエス様に嘘はありません。私は、秋には神様が癒してくださると信じ続けていました。

 

 814日、私の言葉が回復しました。私は何週間もしゃべっていませんでした。

私は聞きました。「お母さん、今日は何日」「814日だよ」と、母は答えました。

 

 お昼には父がやってきました。私は言いました。「お父さん、大きな椅子はどこにあるの。枕を椅子の上に置いて、私を座らせて」私はいつも、頭を膝に乗せて、腕をだらんと下げて座っていました。私は言いました。「お父さん、出るときはドアを閉めて。お母さんにはしばらく入ってこないでと言ってね。一人になりたいの」

 父は泣きながら、部屋を出て行きました。そして何も私に聞きませんでした。

父は、なぜ私が一人になりたいかを知っていました。私が神様とお話しするからなのです。

 

 皆さん、私たちはいつでも神様と会話をすることができます。あなたが望むときには、朝でも夜でもいつでも会話してくださいます。

 

 父がドアを閉めました。私は泣き始めました。どのように祈ったらいいのか、わかりませんでした。ただ、イエス様とお話しをするのだ、ということだけはわかっていましたが、でもそれでいいのです。

 私は言いました。「主イエス様、数ヶ月前私は天国に近づいたのに、あなたは入れて下さいませんでした。イエス様、あなたは言われました。私が帰れば、秋には癒されると。今朝、母に今日は何日かと聞いたら、814日だと言いました。イエス様、まだまだ暑いので秋とは言えないでしょうが、今年の秋には、お言葉をいただけるのでしょうか。私のところに来て癒して下さるのでしょうか。この痛みは本当にひどいのです。私は出来る限りのことをしてきました。これ以上この痛みには耐えられません。主イエス様今年の秋には私のところにいらっしゃって、癒してくださるのでしょうか?」

 

 私は耳を澄ましました。でも、何も聞こえません。でも私は諦めませんでした。私の祈り方は他の人たちとは違います。天の声が聞こえなければ、イエス様が答えてくださるまで祈り続けます。ずっと長く耳を澄ますのです。a

答えが聞こえなかったので、私は泣きはじめました。

私は言いました。

「主イエス様これから私がすることを言います。交渉しましょう。イエス様、聞いてください。あなたと交渉しましょう。イエス様、私を癒し、内も外も健康にして下さるならば、私は毎晩出かけて、90歳まで伝道します」

 

 神様は、私が真剣だということをご存じです。私はもう一度祈りました。

「主イエス様、私はそれ以上のことをします。もし癒して下さって、私が歩いたり、腕を使ったり、元気になって、普通になれるなら、私の人生を捧げます。私の人生はベティー・バクスターのものではなく、あなたのもの、あなただけのものになるでしょう」

                   

 この誓いをしてから、私はまた耳をすましました。今回は答えていただけました。私はイエス様がはっきりとおっしゃるの聞きました。イエス様はおっしゃいました。

824日、日曜日午後 3 時ちょうどにお前を癒そうと。」

 

 最初に私が考えたのはこういうことでした。

「お母さんに言ったら、喜ぶんじゃないかしら。私がこのことを言ったら、どれほどお母さんも喜ぶかしら。その日も時間もわかっていると知ったら」

  

 するとイエス様がおっしゃいました。「その時が来るまで言ってはいけない。」

 

 それで私は考えました。

「私はこれまでお母さんに隠し事をしたことはない。どうやってこれを黙っていようかしら

 

 私は主イエス様の気持ちに反することをしてしまうのではないかと心配で、癒されるまで、神の前では静かに歩きました。その日と時間が分かっているということを母に言ってはいけないと思いました。

 

 イエス様がこのことをおっしゃってからは、私は別人になったように感じました。強い痛みも、肥大した心臓の激しい動悸も、もう気になりませんでした。もうすぐ824日です。私はその時、癒されるのです。母がドアを開けてやってきました。彼女は敷物の上に膝をついて、私の顔を見上げました。

 私はイエス様のおっしゃったことを伝えたいと思いました。最も難しかったのは母に黙っている事でした。

 

 私は母を見ました。そして思いました。

「お母さんに何かが起こった。お母さんは、今日はとってもきれいで若く見える」

 そして彼女がこんなに違って見えるのは、次の日曜日の、私の癒しの秘密を私が知っているからだと思いました。

 もう一度彼女を見ると、何かが彼女に起こったのだということを確信しました。お母さんの目がこんなに輝いたことはありませんでした。そして母は私の方にかがんで、私の額から前髪をかきあげて、私に聞きました。

 「ベティー、いつ主イエス様があなたを癒してくれるか知っているの」

 私は知っていましたが、それを言ってはいけません。私は「知らない」とは言えず、でも事実を言ってはいけないので、聞きました。

 「 いつなの」

 母は微笑んで言いました。 824日、日曜日午後3時」

 私は母に言いました。「お母さんどうしてわかったの。私は口をすべらしたかしら」

 母は言いました。「違うわ。神様が私とあなたにおっしゃったのよ」

 母からこれを聞いて、私はさらに確信しました。神様が824日に私の体を癒して、健康にして下さると。

私は母に聞きました。「お母さん、これから私はまっすぐになるかしら。コブはなくなるかしら」

母は私を見ていました。「いいえ、あなたはもっと曲がって、コブはもっと大きくなるわ。」

 

 私は言いました。

「おかあさんそれでも神様が824日に私を癒してくださると信じてる」

 母は言いました。「もちろん。私たちが信じていれば、すべて可能になるのよ」

 

 母がなぜ私の癒しの日を知ったのかとよく聞かれます。

 主イエス様が私にお話をなさっている間に、家族は食事をしていました。母はフォークにいっぱい食べ物を乗せて、それを口に入れようとしていました。その時に、フォークが音を立ててお皿の上に落ちました。

 その時母は、神様の声が聞こえたのです。

「私にはお前の祈りが聞こえる。その信仰深さに報いてあげよう。824日、日曜日午後3時にベティーを癒そう。もう彼女も知っている」

ですから母が私の部屋にやってきた時、母は神様が私にその日と時間を告げられたということを、すでに知ってました。

 

新しいドレス

 

 私は言いました。

「お母さん聞いて、私はドレスも靴も子どもの時から持っていないの。年中パジャマを着ているから。お母さん、イエス様が日曜日の午後に癒してくださるから、私は夜に教会へ行きます。お店は日曜日にはしまっているでしょう。本当にイエス様が私を癒してくださると信じるならば、今日午後フェアモントに行って、私のために新しい服を買ってきてくれないかしら」。

  

 彼女は自分の体を動かすことで信仰を証明しました。

「分かったわ。今日、街であなたのために日曜日の夜着る服を買ってきてあげる。」

 

 母が車で出かけようとすると、父が止めました。「どこ行くんだ」

「街へ行くの」  「何をしに」  「ベティーのために新しいドレスと靴を買うの」

「お母さん、あの子を葬るまで新しいドレスを買う必要はないんだ。その時まで考えるのはやめよう」

「ちがうわ。あの子はイエス様の言葉を聞いたの。24日、日曜日の午後に、彼女を癒してくださるわ。わたしも聞いた。だからフェアモントに行って、彼女に新しい服を買ってあげるの」

 

 母は服と靴を持って帰って、私に見せてくれました。ドレスはそれまで私が見た中で、いちばん美しいものでした。靴はエナメルのとても可愛い靴でした。

 

 今では、アイオワの母の家の古いチェストの中に、他の宝物と一緒に、その古い青いドレスが入っています。

 私が癒されてからは、講壇で引っ掛けて穴をあけるまで、私はその青いドレスを着ました。

 

 「お母さん、私がまっすぐになってその服と靴を身に付けたら、とってもかわいいと思わない」。お見舞いの人が来ると私は言いました。「お母さん私のドレスと靴を取って、見せてあげて」

 

 彼らは私を見て、ドレス、靴、そして母を見ました。彼らは変だと思ったでしょう。でも私は824日に起こることを知っていました。

 

 大勢の人がやってきて言いました。

「奇跡を見ることが出来たら信じるよ」

しかし奇跡を見る前に信じないのであれば、奇跡が起こった後、何か言い訳を考えるだけでしょう。私は、クリスチャンではない近所の人に言いました。

 私がまっすぐになって立っているところ見たければ、日曜日午後 3時に私の家に来て下さい。 イエス様がいらっしゃって私を癒して下さいます」

  すると彼は言いました。

「その日が来て、あなたがまっすぐになっているならば、私はクリスチャンになるだけではなく、ペンテコステ派になるよ」

その人は未だに救われていません。

 

 823日、土曜日がやってきました。

  母はいつも私のそばにいられるよう、私の部屋で寝ていました。彼女が支度をしてくれて、私は眠りました。

  そして夜中に目が覚めました。月の光が窓から差し込んで、私の足元を照らしていました。誰かがつぶやいている声が聞こえました。

父が部屋に入ってきて、母としゃべっているのかなと思いました。誰かが膝をついて光の中で手を上げていました。それは母でした。母は祈っていました。

「主イエス様、私は母としてベティーのために一生懸命やってきました。彼女に一生懸命あなたのことを教えました。今まで私は彼女のそばを離れたことはありません。

  でもイエス様が彼女を癒してくださるのであれば、あなたが望まれる所へ、どこへでも彼女をお連れください。嵐の中でも構いません。イエス様は、これまで誰にもできなかったことを彼女のためにして下さるのです。

  彼女はイエス様のものです。明日がその日です。

イエス様あなたは彼女を解放して下さるのですよね?」

  

 私は再び眠り始めました。私は起き上がって祈ることができませんでした。でも母が代わりに祈ってくれました。母の信仰のおかげで、私は神を信じていました。そして私の体が癒されると信じていました。

 

  日曜日の朝が来ました。父は、妹と弟を日曜学校に連れて行きました。父は私のために祈ってくれと頼んだそうです。私はずっと悪くなっていて、神様がお引き受けくださらないのであれば、もう死んでしまうだろうと言ったそうです。

 

 私は牧師に 3時に来てくれるように頼みましたが、彼はシカゴで教会の用があると言いました。その日しかシカゴに行けないんだ、癒されたら電報をほしいと言いました。

 

  母は何人か友達を招きました。 230分には必ず来てください。 その時は3時ですから」

 

 彼らは2時にやってきました。

「バクスターさん、早く来たよ。でも何か起こると分かっているので、その瞬間を逃したくないんだ」 私が癒された時、周りはそのような雰囲気でした。

 315分前に母が私の横に来ました。私は聞きました。「お母さん今何時」

 母は言いました。

 「あなたを癒すためにイエス様がいらっしゃる15分前よ」

 

 私は言いました。

「おかあさん私を動かして、大きな椅子に座らせて」

母は私を動かして、曲がった体を椅子の上に座らせ、枕で支えました。人々は私の椅子のまわりにひざまずいていました。私は4歳の弟を見ました。私の体は曲がっていたので、彼と同じ高さにしかなりませんでした。彼は私の横にひざまずき、私を見上げて言いました。

「お姉ちゃん、もうすぐ僕より背が高くなるんだよね。」

 

 310分前、母は、何かしてほしいことがあるかと、私に尋ねました。私は言いました。

「お母さん祈ってください。イエス様がいらっしゃる時祈っていたいの」

母は泣きながら祈り始めました。イエス様が約束通り私のところに来て、体を癒してくださるようにと。

 

イエス様がいらっしゃる

 

 私は意識を失うことはありませんでしたが、神の霊の中に迷い込んで行きました。

私の目の前には、背の高いまっすぐの木が二列に並んでいました。

するとそのうち真ん中の一本が曲がって先端が地面につきました。なぜこの木が曲がるのか不思議でした。

そして道の上にイエス様がいらっしゃいました。イエス様は木の間を歩いて来られました。私はイエス様を見て、いつものように胸がワクワクしました。イエス様は木の横に立たれました。そして、しばらくそれを見ておられました。

 私は、イエス様が何をなさるのか考えていました。するとイエス様は私を見て微笑んで、手を曲がった木の上に置かれました。

 大きな音がして、他の木と同じように真っ直ぐになりました。

 私は言いました。

「あれは私だ。イエス様は私の体に触れられる。すると骨がはじけて、まっすぐになって、私はまっすぐになって健康になる」

 

 突然私は嵐のような大きな音を聞きました。風がうなり声をあげていました。私はそれ以上の声でしゃべろうとしました。

「いらっしゃった。聞こえないの。とうとうイエス様がいらっしゃった?」

するとすべての音がしずまりました。この静けさの中をイエス様がいらっしゃるのだということがわかりました。

私は大きな椅子に座っていました。私の体は曲がっていました。

私は神様を見たくて仕方ありませんでした。

突然白いふわふわの雲が見えました。雲の中からイエス様が歩いて来られました。

これは夢ではありません。

私はイエス様見ているのです。イエス様がゆっくりと私のほうに歩いて来られる。

私はイエス様の顔を見ました。最も印象的なのはイエス様の目です。

イエス様は背が高く大きくて、白く輝くガウンを着ておられます。髪は茶色で、真ん中で分けられています。その髪はふんわりと肩にかかっています。

私はイエス様の目を忘れることはないでしょう。                                                  

 私が疲れ果てていて、イエス様のために働いてほしいと言われた時、お断りしたいことがあります。でもイエス様の目を思い出すと、もっと出かけて行って、大勢の人々の魂を救いたい思いに駆り立てられるのです。

 

 イエス様は私の方に向かって、ゆっくりと歩み寄られました。その手には釘の醜い傷跡が残っていました。

イエス様が近くに来られると、私はますます気持ち良くなりました。

そしてすぐ近くに来られた時、私は自分が小さくて価値のない存在だと感じました。

 私は障害を持ち、体がゆがみ、見捨てられた、ただの少女です。

そしてイエス様は私に微笑みかけられました。

すると私にはもう怖いものはありませんでした。

イエス様は私のイエス様なのです。

私の目をご覧になりました。美しく優しい目はイエス様の目です。

イエス様のような目をした人は、大勢はいません。目に愛情と優しさを備えた人に出会うと、私はその人のそばにいたいと思います。私がイエス様の側にいたいと思うのと同じです。

 

 イエス様がいらっしゃって、私の椅子の横にお立ちになりました。

そのガウンはゆったりとしていて、私の椅子にふんわりと触れました。

私の腕に麻痺がなければ、私はイエス様のガウンに触れることができたでしょう。

 イエス様が私を癒しにいらっしゃったら、私はイエス様にお話をして治してくださいと言うつもりでした。しかしその時、私は一言もしゃべることができませんでした。

私はイエス様のお顔を見続けるだけでした。

そして、私がイエス様を必要としていることをお話したいと思いました。

イエス様は体をかがめて、私の顔を見て、ゆっくりとおっしゃいました。

そのお言葉は私の心の中に刻まれているので、今でも全て覚えています。

ゆっくりとおっしゃいました。  

「ベティー、あなたは忍耐強く、親切で優しかった」このようにイエス様がおっしゃるのを聞いて、もう一度イエス様のお言葉が聞こえるなら、あと15年でも忍耐できると思いました。

イエス様はおっしゃいました。

「あなたに健康と喜びと幸福を約束しよう」

イエス様は手を差し伸べられ、私は待っていました。

そしてその手が私の背骨のコブに触れました。    

私はよく聞かれます。

「あなたの癒しの物語を何度語っても飽きないのですか」と。

そんなことはありません。この話をするたびに私はイエス様の手を体に感じるからです。

イエス様はその手を私の脊柱の真ん中、大きなコブの上に置かれました。突然炎のような熱い感覚が私の体を走りました。二つの熱い手が私の心臓に触れて、心臓をつかみました。その手が離れたとき、私は生まれて初めてまともに息をすることができました。そして熱い手が私のお腹の臓器をなでまわしたところ、私の病は癒えて、新しい腎臓は必要ではなく、神様が癒してくださったので、自分で食べられるということがわかりました。この熱い感覚が私の体の中を走りました。そして私は、イエス様が体の内側だけを治して終わりにされるのかと思い、イエス様の方を見ました。イエス様が微笑まれました。私はコブの上にイエス様が手を当てられるのを感じ、背骨の真ん中をイエス様が押されると、電気が走ったような感覚がありました。そして私は、自分の足でまっすぐに立ったのです。今夜この講壇で皆さんにお話ししているのと同じように、立つことができたのです。私は体の内側も外側も癒されました。イエス様は十秒で私を癒され、私を完全にしてくださいました。この世の医師ができなかったことを、あっという間にしてくださったのです。この偉大な医師、神様が完璧な仕事をなさったのです。

 

 皆さんは「椅子から立ち上がったときどんな感じでしたか」と、お聞きになるでしょう。あなたが希望のない障害者であったことがなければ、それは決してわからないでしょう。希望を失って、椅子に座ったことがなければ、それはわからないでしょう。

 私は母に駆け寄りました。そして聞きました

「お母さんコブはなくなったのかしら」

母は私の脊柱を触って言いました。 「なくなったわよ」

私は骨がはじけてポンと音がするのが聞こえました。

「ベティー、癒されたのよ。神を讃えましょう」

 

 私は振り返って空っぽになった椅子を見ました。涙が私の頬を伝わりました。私の体中が軽くなりました。

 

 私をずっと苦しめてきた痛みが消え去ったからです。私は背が高くなった感じがしました。いつも体が二つに折れたような状態だったからです。コブはなくなって背骨がまっすぐになっていました。私は腕を挙げてつねってみました。腕には感覚がありました。もう麻痺していなかったのです。

 

 私は弟が椅子の前に立っているのを見ました。

大きな涙が彼の小さな頬を伝わってきました。 

私を見上げて彼が言いました。

「お姉ちゃんが椅子から飛び出した。イエス様はお姉ちゃんを治してくれた」

彼は本当に興奮していました。私は椅子を持ち上げて頭の上に掲げました。

「私の神様が何ができるか今わかったでしょう。」

 

 イエス様はまだ私の弟の後ろに立っておられました。

イエス様は私をつま先からてっぺんまでご覧になりました。

私はまっすぐに立っていました。

イエス様は私の目を見てゆっくりとこうおっしゃいました。

「ベティー、私はあなたに癒されたいという思いを与えました。

今、あなたは完全に健康です。なぜなら私があなたを癒したからです」。

 

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